宅録ぼっちのおれが、あの天才美少女のゴーストライターになるなんて-2-

宅録ぼっちの俺が…』念願の2巻発売。
買いに行った発売日当日はかような状況だったが、その後無事、入手にこぎつけた。
残りのページ数を惜しみつつ読み進もうと思っていたが、話が一気に文化祭クライマックスに突入してしまい、結局昨夜、一気に読み終わってしまった。
あぁ、アトピー寛解している今の俺なら何の劣等感もなく、こんな風に高校時代を楽しめただろうに…。
あの、仄暗くて小汚いのに妙に落ち着いた校舎も、渡り廊下も写真部の暗室も、今や建て替えられてしまって跡形もない。


ようやく風呂に入って、高校当時にコピーバンドで演奏していたCasiopeaのCDから「MINT JAMS」(ライブ盤)を聴いたりして。
あの高校3年の学園祭、体育館での俺たちのバンド演奏は、とても盛り上がってたよ。
あの頃の俺は、カッコよかったか?
今の俺は、どうだ?
ああ、また人前で演奏がしたい。

MINT JAMS

MINT JAMS

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「こんなに苦しいなら、愛なんていらない」
3回繰り返されるサコハスのセリフ。よくよく読み返してみると、語尾の表記を微妙に違えてニュアンスを変えてあるあたり、さすがだ。話のスジを追いながら読み飛ばしている時には気づかなかったが。
「神は細部に宿る」…何度読み返しても、こういう発見がある。

小説でもコミックでもアニメでも、やっぱりイケメンはヒロインとくっつくし、ヒロインはイケメンとよりを戻すことが長い事「ハッピーエンド」とされてるわけだが…最近はテッパン過ぎて、どうにも腑に落ちない気分になることも。
サブキャラたちが、(俺にとって)魅力的に描かれ過ぎるのがいけない(?)んだが。
いや、そもそも無口で人間嫌いだったはずのボッチ男がなんでそんなに(複数の美女に)モテてるんだよ(やめなさいよしなさい!)。
などということをツラツラと考える。
おわかりだろうが悪意は全くなくて、すっかり俺のプライベートな時間をこの登場人物たちに乗っ取られている、心地いい状態が続いているだけなのだが。
こういう話からはすっかり「圏外」のオジサンになってしまった俺にとって、ヒロインであるはずの天音には異性のもつ面倒くささしか感じられなかったりして(若いうちは得てしてこういうのがカワイイと思えたりするんだけど…)。
たっくんはこのままいくと、人生を誤る気がするな…(笑)。