2023年、振り返り。

この年末年始休みにやりたいことを書き出してから、昨年の自身の日記を読んだら、一言一句同じだったのを発見してしまい、我ながら進歩なさすぎてしばらく何も手につかない。

このブログの下書きと言えるものは毎日書いているのだが、ひとりでいる時間が増えるに従って文章がどんどん長くなってしまい、更新に無駄なエネルギーを費やすようになってしまったブログ日記にはすっかり興味を失った。
元々職場以外では人と話をしない生活。
最後にヒトと外で飲んだのは、2019年の(自身最後になった)ライブの打ち上げ。
あ、その後の2020年ごろ、上司と一度だけ飲みに行ったか。
何か不愉快なことがあったはずもなく楽しかったけど、まぁ俺には必要ないな、と思えちゃったので、それ以降プライベートでは誰とも会わない生活がもう2年以上も続いているわけか。

誰かにとって「都合のいい存在」にされちゃうのをとりわけ嫌う傾向があるのは、もう長いこと自覚していた。
どんなに自分が好きで熱中していたことでも、自分が一旦そう感じてしまったら続かない。
思い返してみるに、主体的に「誰かのために」生きた経験が一度もないことに起因している気がする。
結婚もできなかったし、当然子どももいない。
なるほどそう考えると、妙に腑に落ちる。

2019年末にバンド活動から離れて、まさか年が明けたら全地球的にこんなことになっているなどとは夢にも思っていなかった。
当然「復帰」も考えていたわけだが、トドメを刺された形でそのまま引退となった。
今となってはむしろ、「老害」にならずに済んでよかった、くらいに思っている。

しかし、ビックリするほど何ひとつ手元には残らなかったことには、未だにちょっと戸惑っている。
自ら公式の場で「引退」を表明する機会がなかったこともあるが、そういえば別れを惜しむ声は誰からも聞かれなかったなーと今さらながら。
まぁ元々、この「業界」でも味方より敵の方が多いっくらいのもんだったし。

もうひとつの趣味であったカメラへの興味を失うにつれて、自分が残せるものなど結局何ひとつないし、残したところでどうなるというのだ、という虚無な思いに捉われることが多くなった。
実家に置きっぱなしにしてある自身の膨大な演奏記録やら(フィルムカメラ時代の)写真やらビデオテープ(!)やらも、近々処分せざるを得ないようだ。
一緒に見てくれる人がいるからこそ、存在意義があるものたち。
今後「順当に」トシの順に両親から亡くなっていったとして、家族というものを持たない俺自身が見返すアテはなく、後生大事に取っておいていったい何になるというのだろう。今となっては。

元々HSP気質なので、こうしてひとりでいても退屈で死にそうになるようなことはない。
が、一日に複数の出来事があると、そもそもどっちが「要旨」だかわからなくなってしまい、文章が長くなるのは悪い癖だ。

確か2023年の正月休み辺りに鉄道模型に復帰(?)した。
元々は10年前、千葉に引っ越してくる際に次のバンドに誘ってもらうアテがなかった場合も想定して、必要最低限の工具や材料は実家から持ち込んでいた。
中学時代から着かず離れずを続けてはいたが、当時は完成品車輛を買い足すだけ。無意識にコレクターのようなことになっていた。
手を動かすことは好きなので、この間雑誌で気になる工作の記事はストックしていたものの実際に自分の手を動かしたことはなかった。お陰ですっかり「頭でっかち」になっている。
それがようやく、拙いながらも自分の手を動かすようになった、ということだ。実際に自分で手を動かしてみると、当たり前だが本当に拙い…。

元々ひとつの「物語」を何度も反芻しては味わい尽くす病的なところがあって多読ができない、キャパの狭いところへ、今年は音楽も小説もDVDもアタリばかりで、思いがけず「吸収」する年になった気がする。
といって、そういう「作品」を自身が創ってみようと思うには至らない。
吹奏楽だったりバンドだったりと、音楽関係の主人公たちによる物語をどうしても最初に手にとってしまうのは、無意識に音楽への思いが断ち難いのか、ということも自覚させられた。

上司の退職騒動に巻き込まれた。
体調を崩されてからはもう1年以上、もう辞めると口癖のようにおっしゃっていたのだが、後任がなかなか決まらなかった。
経営陣が現場を知らない(にも程がある!)ので、「適材」を探してくるのではなく、結果的に騙して連れてくる、という形で、俺が知るだけでこのミスマッチですでに3人が、激務に耐えられず辞めている。
すったもんだの挙句に上司が、定年退職で暇をしていた大学時代の後輩さんを口説き落として連れてきたのが11月。
以降毎日、引継ぎという名の「諍い」を見せられている。
おふたりの日頃の関係性は私にはわからないので、これも一風変わった「親愛の情」なのかも知れない、とは思いつつ、傍で見ててもアグレッシブすぎて、俺のメンタルにあまりよろしくない。
ようやく「後任」を定めることができた上司は、これでいつでも辞められるとばかりルンルン気分で、話にならないし。
決算を終える年度末が、俺にとっては職場の景色が一変するひとつのターニングポイントになりそうだ。

「今年の十大ニュース」のようなことにはならなかったが、幸い大きな病気も怪我もなく。
幸せもそうだが、ツラい、痛い、悲しい…こういうまともな感情って、心も「健康」じゃないと感じ取れないものなんだよ。
かつて自身がブラック企業にいたころを思い出す。
2023年は、そう思うと平穏な一年だった。