多摩湖へ。

今朝は9時に携帯アラームを鳴らしたのに無視して、10時半頃のそのそと起床。
階段途中のビッグ・ノイズ』を読んでからというもの、すっかり自身の高校時代に気持ちがタイムスリップしちゃったらしく。
意を決しての、予定順守。
勝手知ったる多摩湖周辺を目指している。
と書くと簡単そうだが、でかけるまでの逡巡が我ながら酷かった。
いったいどうしちゃったんだ俺。優柔不断が過ぎる、自決できない。
独り者の予定なんて所詮は生活に直接かかわるもの以外、当然ながら別に今日やらなくても誰にも文句をいわれないし、守れなかったからといって誰にも迷惑はかからない。
明日できることは、明日やればいいのだ。
仕事もプライベートも最近、発想の根本がこういうことになってきてしまっている。

ともかく自分をだましだまし、まずは自身の身柄を(笑)電車に乗せた。
そうまでして、わざわざ遠路出かける意味があるのかどうか…まだ考えてしまう。
しかし天気予報通り、昨日よりも天気がいいようだ。

Go To 越境。
もういいよな、東京発着の観光も政府支援の対象になったらしいし。
臆病者の俺はなにも、秩父に(は行きたいが)行こうなどと大それたことを考えているわけではなくて、せいぜい通勤定期*1を利用して、少し「向こう側」へ足を延ばそうとしているに過ぎない。

いつもの通勤経路から西武新宿線に乗り換え。
ホーム上の整列標識がインパクト強くて、高齢男性が「どうやって乗ったらいいかわからん!」と呟きながら案内の電光掲示を見上げていた。

車内の中づり広告によると、スマイルトレインの「ドラえもん」バージョンが走っている。
「ぐで玉」以来、スマイルトレインは丸っこいキャラにならなんでも化けさせられるということに気づいてしまったらしい。
残念ながら、今日は一度も巡り合えず。

野方駅手前まで何やら立体化工事でもしているようで、急行とはいえ徐行を余儀なくされる。車窓も冴えない工事現場の光景が続く。
この区間、急行は元々停車駅が少ないので、着工前からのロスタイムは多く見積もっても2分くらいのものだろうけれど。
工事区間を過ぎると何事もなかったように、100㎞/h運転に戻る。
それでも地下鉄乗り入れを果たして複々線になってしまった同社の池袋線に比べれば、まだ郊外電車な風情が残っている気がする。さすがに自身の高校時代とは隔世の感があるが。

小平駅で途中下車。
駅前の西友に寄って、昼食と缶ビールを仕込む。
昼食は塩焼きそばにしたかったのだが、あんかけしかなかった。一度は手に取ってみたものの、
「青空の元で食べるおにぎりはうまさ10倍!」
というどこかで読んだセリフ*2を思い出してあっさり、おにぎりに変更。
腹が減っているときに惣菜コーナーに来てはいけないな、やっぱり。

すっかり今どきの駅になった改札脇で、(恐らくは母校の)制服姿の女子高生が待ち合わせ中だった。
程なくコントラバスを担いだ先輩男性と合流したようだったが、もしかして君たちの指揮者って…。
買い物を済ませると、母校まで足を延ばしてみようかとも一瞬思ったのだが、当時の校舎が残っているわけでもないので今回はやめて駅へ戻り、目的通り多摩湖を目指す。

駅前の、学生時代から慣れ親しんだ本屋も嬉しいことに営業中で、ずっと気になっている本をここで買ってしまおうかと悩む。
個人営業の「街の本屋さん」で買った本は、同じ本でもなんだかあったかい気がするのだ。
ただ、実行にうつすについては今日の財布の中身は、ちょっと心許ない…。
先ほど花小金井の踏切で目にした、青をメインにした斬新な塗装のバス。小平駅前にも停まっていたのでじっくり眺めたら、なんと西武バスの新塗装だった。そういえば地味だった塗装が何十年ぶりに変更になる、とかニュースになってたな。

ここ小平発着だった西武遊園地行きの電車は、ひと駅先の萩山でさらに拝島線と分岐するのだが、国分寺から来る「多摩湖線」が萩山から西武遊園地へ直通するようになり、ほぼ全便が国分寺から来るようになった。本来の路線名にかなった運行系統に戻っている。
その萩山駅では、この運行方式に変更するにあたって渡り線を新設。1番線(単線)で折り返していた国分寺発着の電車が、西武遊園地から国分寺へ向かう際には西武新宿行きと同じ3番線に入り、拝島線下り本線(2番線)を平面交差して南下、その先で1番線からの線路と合流、単線で国分寺へ向かう構造になり、多摩湖線の電車も萩山駅で単線交換ができるようになった(萩山から先、1番線の西武遊園地方面には元々線路がつながっている)。
この平面交差化にあたっては、2番線ホームの新宿寄り角を一部削るというギリギリの線路配置になっているのも面白い。
これ以前、つまり私の学生時代当時の多摩湖線は、国分寺―萩山と小平―(萩山)―西武遊園地の2系統に運行が別れていた。
この運行形態だと小平―萩山ひと駅の間だけは、拝島線多摩湖線の双方が走ることになり、利用者数に比して運行本数が多くなってしまう。この事態がようやく解消された。さらにその前は、西武遊園地から来る電車も拝島線同様、西武新宿まで直通しており、萩山駅で8両編成1本の電車を、停車時間と手間暇をかけて(拝島方面6両・西武遊園地方面2両に)分割・併合していた。
土地を買収したり駅を拡張したりといった大改修を行ったわけではなく、渡り線を1本追加しただけ、なのだが。
それがなかったがために創意工夫と苦心をしている各鉄道会社の「舞台裏」が見えるようで、鉄道ファン的にはこういう一見「非合理的」な運行をしていた頃の方が楽しかったものだ。

「すみっこぐらし」

国分寺から西武遊園地への直通運行は、「赤電」351系時代(晩年)に不定期列車として始まっている。今にして思えば需要調査、試験運行の側面もあったのかも知れない。
まだ萩山駅には上述の渡り線が未設置だったので、国分寺からの電車は(折り返していた)1番線にしか入れない。
このため国分寺から西武遊園地へ直通電車が出発するとすぐ、予め西武遊園地方にある引き上げ線に待機させておいた車両を折り返し時間に間に合うように入線させるという車両交換でやりくりしていたものだ(逆に西武遊園地駅から直通電車が入線する前に、国分寺から着いた車両を慌ただしく引き上げ線に回送していた)。

というわけで今は、新宿線の小平から分岐する萩山駅までのひと駅は、専ら拝島線に乗ることになる。
その拝島線は、下り玉川上水止まりを上り・小平駅折り返しにして、拝島行きは新宿からの急行として直通、この交互運転というパターン・ダイヤのようだ。
萩山駅では同じホームに拝島方面行き(2番線)と多摩湖線(1番線)が並ぶので、乗り換えも楽。
ここでも隔世の感があったのは、(休日)昼間の多摩湖線は4扉、9000系の4連になっていたこと。
今日は偶然、ライオンズ・カラーの車両で、途中駅では撮り鉄さんたちが暗躍していたようだ。

そういう俺も、ながら撮りテツ。

東京もここまで西に来るとさすがにあまり変わらない、懐かしい車窓を眺めているうちに、西武遊園地駅まで乗り通さずひと駅手前の武蔵大和駅から、堰堤(狭山)公園へ徒歩で入ることにした。
武蔵大和駅は、バリアフリー対策でエレベーターの設置に伴って駅本屋が移設されており、ある意味名物だったゆるくて長い階段を上る必要がなくなっていたのには驚いたが。
ここで、Go To トイレ。
入り口に飾られていた、枯れ葉の額装モニュメント。なんだか自分でも作れそうで見目楽しい。

いよいよGo To パーク(湖)。
狭山公園への道順は、元々そんなに複雑ではなかったせいもあって、実際に現地に赴いてみると忘れていなかった。

Go To トラブル。
湖堤防南側の東屋は、そんな俺の思い出の場所のひとつなのだが、隣のベンチの女性ふたりが流暢な英語をまくし立てているのが騒々しく、思い出に浸れない。
ひとりはどこから見ても日本人だったが。

っつーか、おまえら。

堰堤に上がって、眼下を行きかう多摩湖線の電車を見ていたら16時半頃になって、先ほど萩山の引き上げ線で見た「リバイバル塗装(赤電)」の101系が稼働を開始。同じ時間帯でもう一本も伊豆箱根色の101系に車両交換をした模様で、夕方の多摩湖線は一斉に片側3扉車になった。


しかし今日は天気のいい休日ということもあってか、家族連れを中心に人が多いな。
ここでも独り者の俺は遠路千葉の部屋に戻っても誰が待っているわけでもなく、早く帰らなければならない理由もない。
ビールの酔いに任せて、堰堤上をカメラ片手にうろうろしながら日没を待っていた。
雲ひとつない快晴だった今日は、あまり派手な夕焼けは期待できないな、と思っていたが、空気が乾燥していたせいか遠くみごとな「赤富士」を見ることができた。


秋の夕日は、つるべ落とし。
夜の森の静けさと「息遣い」を感じていたくて、西武遊園地駅へ抜けることなく、すっかり暗くなった広大な公園内を抜けて、武蔵大和駅へ戻った。

Go To ホーム。
帰りの電車内では、隣席の若い女性がうたた寝
昼間はむしろ暑いくらいだったから、さっきまで俺も西武線で寝落ちしそうだった。
ラフなようで、Gジャンの袖にTシャツと同じ黄色いラインが入っていたりしてさりげにおしゃれ。
もたれかかられた俺にとっては久しぶりの、人間の体温(邪念なし)。
半分に欠けた月が俺の下車駅までずっと、車窓に寄り添っててくれた。

*1:この頃は在宅勤務が義務化されていたので回数券

*2:さよならピアノソナタ2』夏合宿シーンでの、千晶ちゃんのセリフだった