村上レディオから。

東京FMの「村上RADIO」、月1回ペースで続けられている番組らしい。
ご存知作家の村上春樹さんが、今夜はアカペラの名盤を紹介していく特集だというので、心密かに放送を待っていた、久し振りのラジオ聴取。
以前のバンドメンバーからもメールもらったタイミングだったし、もしかして万にひとつだとしてもこういう偶然が重なることで、ふたたびバンド活動に戻ろうという気持ちにさせてもらえるかも(他力本願)、などと棚ボタなことを思ったりもしたのだが、放送を聴き終えた私自身が一番ビックリしたことには…何ひとつ心に引っかからなかった。

サンクチュアリ

『さよならピアノソナタ』あたりをきっかけに(?)このところ、いろんな音楽に私の興味関心の幅が広がり過ぎたのか(その割にはパンクロックに偏ってる気もするが)。
そんな今夜の私にはなぜか、この後偶然手にしたCDの、Adeleのハスキー・ヴォイスの方が心地よく響いたりする。
今年の秋を中心に、いくつかなじみのあるアカペライベントも復活宣言がされているようだが、こちらへの興味も急速に薄れてしまい、逼迫する家計に無理してまで足を運ぶ気にはならずに済みそうだ。

話は前後するが、「ぼっち・ざ・ろっく!」のCDを買いに久し振りにCDショップ(タワレコ)に行ったときの話。
そのサントラ棚で、「アオペラ」というタイトルが目についた(どうやらアニメがあるらしい)。
懐かしくて、思わず苦笑い。
その昔、赤本・青本*1的なジョークで、大学合唱部で愛唱曲の楽譜編纂してて、自身も同じ単語を思いついたことがあるもんだから。まぁ誰もが思いつくダジャレみたいなもんか。
こちらの「アオ」はどうやら、アカペラに捧げる「青春」の青からきているらしい。
ジャケットの裏表には、絵に描いたような(いやアニメだから絵なんだが)美男・美女ばかり…そこからは容姿にコンプレックスがあったり、そのせいで性格が少々歪んでたり、というメンバーがいるような気配は全く感じ取れない。
逆にこんな奴ひとりも見かけたことないけどな現実のアカペラ―では。楽器バンドだったら凡そ見かけないような、どこか垢ぬけない、野暮ったい「優等生」タイプが多いなどっちかというと。協調性に対して優等生すぎて、なんなら「フロントマン」のいないバンドすら珍しくなかった(個人の感想です(^^;)。
全く事前情報なくこの絵柄だけから想像するに(無謀!)、コンクールを勝ち進むために様々な無理難題を力を合わせて乗り切り、あまたライバル・バンドを打ち負かしました、っていうスポ根かRPG的な展開なんじゃないかと。
私の頭の中ではもうそういう筋書が出来上がっている(むしろそれ以外の展開が、思いつかない)。
バンド活動維持のためには「ひとりも脱落者を出さない」とかキレイごと言う奴もいたりして、陽キャ同調圧力全速力…いや知らんけど。
そんな「健全」な匂いしか感じ取れなかったので、今後も絶対に手にすることはない気がした。

実は現実世界でも、関係人口が増えるにつれて今やすっかりリア充パリピ、コミュ魔人(?)が当たり前のようにドッと流れ込んできた結果、既婚者、子持ち、高齢化するにつれて孫持ちまでが現れて、歌い続けたかったけど協調性に問題があるから合唱世界に居られなくなってしまった、という私のようなコミュ障ぼっち人間にとって、今やアカペラ界隈も安住の地などではなくなってしまった(戻れる気がしない)。
そんな充実した音楽活動に加えて、見回せば自家用車に家に仕事に家族に、と欲張ってなんでもかんでも手に入れられちゃった奴らばっかりだし(個人の感想です)。
もうすっかり、蹂躙されてしまった「焼野原」。
恐らく今、私がアカペラ・シーンの中心世代だったとしたら、どんなに歌いたくても間違いなく自ら近寄ろうなどとはしなかった。何か別の方法を考えたに違いない。断言できる。
陰キャが迂闊に近寄れる場所ではないのだ。

そういえばメンバーの誰からも、そういう音楽原点というかモチベーションというか、ルサンチマンについて語ってもらえたことは、結局一度もなかったな。
他ならぬ私が相手だから打ち明けたくない、ということもあったかも知れないが。
自分は決してナルシストではないと思うのだが、かといって他人のこういう部分に対して常にアンテナ張っておけるほど、気持ちに余裕のある毎日を過ごしてもいなかったし。

気付くと私ひとりだけ、随分と遠くまで来てしまったようだ。
そもそもこれだけのものをすでに手に入れてたら、世の中への不満なんかそうそうないだろうし、伝えたいこともないのに音楽続けられるっていうのが…ファッション?
「ロックとは負け犬が歌うから心に響くのであって、成功者が歌えばそれはもうロックとはいわないわけで…」
ギャグめかして、ときどき「真実のことば」をぶっこんでくるから侮れない『ぼっち・ざ・ろっく』であった。
「本当の敵を見誤るなよ」という廣井姐さんのセリフとか。

アカペラは演奏形態だから、その中に何を放り込むかは人それぞれだが、こういうメッセージ性というか、自らの生活実感を表現しようとするには酷く窮屈で息苦しい場所になってしまった。私にとって。

だからといって未だにこういう抱えきれない想いを他の手段、詩にしたり曲にしたり、といったクリエイティブなことに昇華することができないので、こうしてこんな場所で燻っている。
そうやって内側から腐り落ちることができるんなら、一日でも早くその日が来てほしい。
私は歌いたかったわけではなく、デカい声で叫びたかっただけなんだな、多分。
2019年から4年も経って、ようやく自分の中ではっきりと「終わり」が見えた気がした。
あー、久し振りにドラム、爆音で叩きたくて仕方がない。

21(UK盤)

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*1:メジャーなとこでは大学受験用問題集、ですかね